1,moon contact
「わかんない・・・・」
美樹の家で開かれている勉強会、課題の数学のプリントとにらめっこをはじめて、もう20分はたっている。
「まだ終わらへんの?」
すでにプリントを終わらせている仁が、私のシャーペンを奪ってスラスラと、答えを書き込んでいく。
そうか・・・そこはXを・・・・・
ふむふむ、とのぞき込みつつ、はたと我にかえる。
仁の解答に一応目を通してシャーペンを奪い返した。
「梓は難しく考えすぎるのよ」
クスクスと笑う美樹も、プリントはとっくだ。
「そんな、笑わなくても・・・」
「教えてあげるから、ね?」
許して?なんて肩をすくめる美樹を軽く睨んで、
「わかった」
渋々、というふうを装ってこたえる。
「よかったなぁ、梓」
ニヤリと笑いながら、わしゃわしゃ撫でてくる仁の手を払って、近くにあった消しゴムを投げつけてやった。
私と、美樹と、仁は幼稚園からの幼なじみで、特に仁とは家がとなりということもあって、赤ちゃんの時から一緒だったり。
中3になった今でも、三人仲良くやっている。
「仁君が教えてあげればいいのに」
確かに、三人のなかで一番頭がいいのは仁なんだし、教え方もうまいからすぐに終わるっていうのは、経験上わかってる。
だけど、仁の性格からして無理。
自分が動くより、人を動かす方がとくいというか・・・とにかく、自分でやるのがきらいな奴だから。
「それはダメ」
案の定否定してきた仁を、美樹が不思議そうに見る。
「こんな簡単な問題でアホみたいに悩み続けとる梓が見られんようになるやろ」
「ふふ、そうかもね」
真顔で答える仁に美樹まで、どこか意地の悪い笑みを浮かべる。
二人がかりで攻撃されて、一気に脱力した私を見て、仁はまた頭を撫でてくる。
いい加減振り払うのが面倒になった頃に美樹が、
「さ、がんばろうね」
と、課題のプリントを突きつけてきた。
「30分か。美樹に手伝ってもろてるくせに時間かかりすぎや」
ちら、と壁掛けの時計を見ながら仁はプリントを鞄へと押し込む。
「ごめんね、私の教え方が悪かったからこんなに・・」
「違うってそんな」
涙を滲(にじ)ませた美樹の言葉を慌てて否定すると、美樹はぎこちなく、笑ってみせる。
「そうや、悪いのは梓なんだし、気にせんでええよ」
な、と美樹に笑いかける。
「誰のせいだって?」
仁の言葉に引っかかりを覚えて即座に聞き返す。
「梓の理解能力が悪い」
「仁が教えてればすぐだったのにさ。ま、プリントは終わったし、ありがとね、美樹」
「うん」
美樹は涙腺が緩いからすぐ泣きそうになる。
私と違って、女の子を全面に押し出したような子だから、美樹に泣かれそうになると私も仁も正直弱い。
「じゃぁ、今日はこのくらいで。おつかれさま」
「また明日ね」
一区切りついたところで、本日の勉強会はお開きになった。
美樹の家からの帰り道、他愛のない世間話をしながら歩く。
先生の鼻毛が気になったとか、突然頭を坊主にした奴がいるとか。
「そんで、三崎がな・・・今日は満月か」
「あ、おっきい・・久しぶりだな、こんな大きいの」
不意に途切れた会話に空を見上げる仁の視線を追えば、藍色の空にぽっかり満月が浮かんでいた。
七月の空に光るそれは、住宅街の明かりよりも綺麗だった。
だけど、今の季節には似合わないようなそんな月。
「なんちゅーか、やな月やなぁ。落ちそう」
そう言った仁の表現の仕方は的確だったと思う。
それはすごく綺麗で、どこか毒々しい。オレンジ色の熟れすぎてしまった果実みたいだ。
「・・・帰るか」
「うん」
仁の声に引き戻されるまで、私は食い入るように月を見つめていた。
素直に返事をしたからか、仁は私の頭を撫でてから歩き出した。
私はまたしばらく月を見つめたまま動けなかった。
もう一度仁に呼ばれて、小走りで先を行く背を追いかける。
仁の横まで追いついたのを横目で見ると、当然のように歩調をゆるめてくれる。
毒々しくも美しい月光の下、言葉も交わさずに家路を辿る。
話してはいけない気分にさせる不思議な月だった。
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