2,rain








ざあざあ雨が降りつづく。
一向にやむ気配のないそれは、まるで今の心のようだった。




放課後、人のいなくなった教室に呼び出された。
開けっ放しになっていたドアから中に入る。
相変わらず、この教室は何かと掲示物が多い。
窓際の席に目を移すと、美樹がぼぅっと外を見ている。
呼び出したのは美樹の方なのに、こちらに気づく気配すらない。
小さくため息をついてから話しかける。

「美樹、来たよ」
「え、・・あぁ梓か」
「梓かぁじゃないよ、で、何か?」
「そうそう、これ見て」

そう言った美樹は、鞄の中を漁(あさ)って一冊の本を取り出す。

「タロットの本なの」
「多趣味なことで」

この前は確かパウンドケーキ作りだったかで、作るたびに食べさせられていて、甘党でもない私には正直つらかったというのが記憶に新しい。
だから皮肉を込めていったのにあっさりと無視で流される。

「ふふ、それでね、梓のこと占ってみたの」
「どうだったのさ」
悔しいから、わざとぶっきらぼうに答えると、美樹は、意地の悪い笑みを浮かべる。

「な、なに」
「明日最悪みたいよ。何か大切なモノを失うでしょう」
「大切なモノ?」

お金とか、本とかかな? ぐるぐると考えを巡(めぐ)らせて、ある一点に辿り着く。

「昼ドラを録り忘れるとかかなぁ」
「何それ」
「いいとこなんだよ、今」
美樹は昼ドラには興味がわかなかったようで、今度は占った結果の書いてある紙を取り出した。
「でね、これなんだけど」
「・・・・で?」

占いには人並みに興味があるけど、矢印やら、グラフやらで何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。
どうやら一ヶ月の運勢をグラフ化したものだったらしい。
明日にあたるところが、一番高くなっていた。

「私の恋愛運なんだけど、すごくいいのよ」
確かに、他は、70%程の位置の平行線だ。
ぼんやりとそう考えているうちに、はた、と気がつく。

「告白?」
「・・・・」

質問に対する返事はなかったが、否定していないのだから、この沈黙は肯定の意だろう。
私は小さくため息をついていた。
小さい頃から美樹の相談役をやってきたけど、直接恋愛に関わることは初めてだ。

「・・仁君」
「へ?」

考え込んでいたところにいきなり仁の名前を出されて、思わず変な声をあげてしまった。

「告白しようと思ってるのよ・・・・その・・仁君に」

伏せ目がちに言う美樹は、すごくかわいかった。

「でも、なんで仁?どこがいいのさ」
「優しいところかな。笑ってる時とか、雰囲気」
「そっか」

美樹にはそう返したけど、内心、納得はできなかった。
なにしろいいところなんて顔と、頭くらいで性格はそう褒められるものじゃない。
たちの悪いイタズラを考えつき、それにひっかかった相手を遠目に見てほくそ笑むような奴だし。

「一緒に来て欲しいんだ。一人だと絶対に言えないと思うから・・・」
「いいよ」

伺うように言ってくる仕草に苦笑をもらしつつも、美樹に弱い私は承諾する。

「ありがとう、梓。一緒に帰ろ」
「いや、まだ用事が残ってるんだ」
「そう?長くなっちゃってごめんね、バイバイ」
「また明日」

教室を出て行く美樹に向かって手を振った。






――分からなかった訳じゃないんだ
仁を見てたのなんてとっくに知ってる
でもさ、だめなのかな 幼なじみのままじゃいけないのかな

「美樹・・・」

私は身を隠すようにひっそりと膝に顔を埋めた。






 


「まだ残ってたのか」

聞き慣れた声が近づいてくる。
出来れば、今は一番会いたくない。

「どうした?」

 来ないで欲しい。それを口にはできなかった。

「梓・・お前、泣いて・・・」
「うるさい」

泣いてなんかない。これは、勝手に体が勘違いしてるだけ。

「見たりせんからもう泣くな。落ち着くまで居てやるから」

仁の手が髪を撫でてくる。
いつもならつっぱねているそれを払う気も起きなかった。
仁は何も言わず、ただ私の髪を撫でている。
漏れそうになる嗚咽をかみ殺し、しんしんと響く雨に紛れることを祈った。






「もういいのか?」
「うん。悪かったね、付き合わせて」
「残ったのは俺の意志やから」

気にすんな、そう仁は笑った。
この笑顔に美樹は惹かれたのか。と、まだ滲む視界の中考える。
ちゃんと手伝ってやらないとだめだよな。

「あのさ、仁」
「帰るか」
「・・・え、ぁ、うん」

思わず頷いてしまったけど、遮るように言われて、美樹のことを言いそびれる。

「梓、ほら早く」

急かす仁を追って昇降口をでる。
降り止まない雨の中で話すこともないだろう。

「仁、今日空いてる?」
「別に何もないけど」
「ちょっと家来てくれないかな」
「・・ええよ」

私が滅多に家に人を上げないのを知っている仁は、疑わしそうな視線を投げかけたものの、詳しくは聞かれなかった。
そういえば、中学に入ってから人を部屋に入れるのは今日が初めてかもしれない。
集まるのは、大抵美樹の家だったから。
部屋、片づけてあったかな?
美樹のことをどう言おうか迷いつつ、そんなことを考えていた。




「ただいま」

返事は返ってこない。多分テレビにでも夢中になってるんだろう。
まったく不用心な。

「まぁ、いっか。あがって」
「おじゃまします」

私の部屋に入るなり仁は、ほぅと声をあげた。

「なかなか片づいてるやないか」
「物がないだけだよ」

目につく物といったら、本棚と机、あとはベッドくらいで殺風景な部屋。
とりあえず仁を座らせて本題にはいる。

「お願いがあるんだけど」
「それが話か?」
「そう。・・・美樹のことなんだけど・・」
「ん?」
「告白するんだって、仁に」
「ふうん」

仁は驚きもせず、世間話でも聞いているかのようだった。
私でも気づいたくらいだから、仁が分かっていなかった方がおかしいか。

「で?」
「で?って・・・美樹のこと振らないでほしい」
「なんでそないなことを梓が言うん」
「親友だし、相談にのった身としては・・」
「親友?まだそんなこと言っとんのか」

じっと瞳を覗き込まれる。
どうしても、そこから目がはなせなかった。
仁が言葉を紡ぐのを全身で拒絶していた。
それでも仁の言葉は紡がれる。

「美樹のこと好きなくせに?」
「・・・っ・・」

言い返せなかった時点で負けは決まっている。

「でも・・・っ」
「好きだから、か?」
「・・・・うん」



好きだから 困らせたくなんかない
好きだから 悲しんで欲しくない
好きだから 笑っていてほしい


「だから・・・」
「ええよ」
「え?」
「梓がそこまで言うんならな。約束する」

仁は困ったように笑って私の髪を撫でた。

「ん・・・ありがと」

約束してくれたお礼に、仁の好きにさせる。
ゆっくりとしたそれが心地よくて、私は静かに目を閉じた。



ふと、仁の手が止まる。
見上げると少しぼやけた視界に仁の姿が見えた。

「俺、そろそろ帰るな」
「ん。・・・・頼んだよ、仁」

鞄を手にドアへと向かう背中に念をおす。

「任せろ。梓との約束は絶対に守ってやる」
仁は振り返らずにそう返し、じゃあな、と部屋を出て行った。









****
梓の家を出た後、仁は近所の公園に向かった。
雨がやみ、夕闇に星が光っている。

「やぁ、久しぶりだね」
「すいません、遅くなって」

ベンチに座っていた男がちょぃちょぃと手招きをしている。
彼は、美樹の兄で朔弥という。
K大の心理学助教授をやっているすごい人だ。
仕事が忙しいらしく、仁も会うのは久しぶりだった。

「梓ちゃんかい?」
「・・・・はい」

質問というよりは、断定するように言われて仁は素直に頷いた。
「梓は、美樹が告白することを応援してて」
「その相手が君か」

こくりと首肯する。

「そうか・・大変だね君も。それで、どうするんだい?」
「受けるつもりです」

仁の返事に朔弥は困ったように笑った。

「美樹の兄としては、あまりうれしいことじゃないんだけどね。僕は三人とも笑っていて欲しいんだ。兄弟みたいに思っているから」

仁は、何も言わず、空を見上げる。

「言わないのかい?」

ふいに朔弥が口を開いた。

「言えませんて」

仁は苦笑しながら答える。
何のことかなんて聞くまでもなかった。

「俺も梓も、相手を困らせたくないって臆病になってて。そんなんは言い訳にしかならんのはわかってるんですけど」
「そうか・・でも、そういうのって苦しくないかい?」

仁は答えなかった。答えてはいけないような気がして。
朔弥は気にせずに話を続ける。

「僕の好きな人が来月結婚するんだ」
相手は僕じゃないんだけど。
そう付け足して、悲しそうに笑った。

「僕は君のように、好きだって言わなかった。いや、言えなかったという方があってるな。それに、好きな人が出来たから応援してくれって頼まれて。
僕はその時、それでもいいって思っていたんだ。友達でもそばに居たいって」

はぁ、とため息をつく。

「正直つらかったよ。デートのこととか楽しそうに話されてねぇ。何度嫉妬で肺が焼け焦げるかと思ったことか」
「好きだって言えなかったから・・・」
「伝えないと伝わらないんだよ、そういうのは。仁君、君は梓ちゃんにそういう思いをさせることになるんだよ?」

朔弥の言うことが今の仁には痛かった。
心の奥をのぞかれるような視線に、目線を外したくなるのを必死にこらえる。
そんな仁を見て、朔弥が柔らかく微笑んだ。

「相手の幸せを願っているのに、心の中はつらくてどうしようもない。僕は君たちにそんな思いはさせたくない。傷つくのも必要なことだけどね」

仁は拳を握りしめた。
断ったとしても、受けたとしてもどっちにしろ梓は傷つくのは分かっているから。
そう腹をくくった。

「梓が望むほうを選ぶ。頼まれたときに約束したから」
「君はそっちを選ぶんだね」
「はい」

目をそらさないように頷くと、朔弥はぐいっと伸びをしてベンチから体を起こす。

「送るよ。遅くなってしまったからね」

歩きはじめた朔弥の後を追う。
星空には薄い雲がかかっていた。








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