3,summer crisis












「梓・・・どうしよう、やっぱり・・」
「大丈夫だって。ほら、遅れるよ」

今になって尻込みする美樹を急かす。
不本意だけど、こんな時に頼ってくれるのは嬉しかった。


美樹の告白場所はベタに放課後の体育館裏。
仁は律儀に指定時刻よりも早く来ていた。
こちらに仁が気づいて振り向くと、美樹はあからさまに緊張した。

「あの・・えっと・・」
「美樹」

そっと肩を押してやる。
美樹は小さく頷いて仁に向き直り、口を開いた。

「仁君が好きです」
仁はそれに答えずにただ黙っている。

「お前はそれええんか?」

仁は美樹ではなく私を見ていた。

「何が?」

見返す勇気がなくて、そう目線をはずす。
そうか、と呟いた仁は目線を美樹に向ける。

「ええよ、美樹。よろしゅうな」
「・・・うん」

美樹はたっぷりと目に涙をうかべて笑っていた。
よっぽど好きだったんだって分かって、胸が苦しかった。
私は、仁にされていたように数回美樹の髪を撫で、その背中を押した。

「今日は二人で帰んなよ」
「・・・梓」

私は美樹に笑いかけ、そっとその場から立ち去った。
体育館から遠ざかるうちに自然と早足になってくる。
「うわ・・何してんだろ・・・」

本当にらしくない。
知らず識らず、頬を雫(しずく)が伝う。

「馬鹿みたい・・自分から・・いったのに・・」

拭っても拭っても、次から次へと溢(あふ)れ出(で)てとまらない。
わっかっていたはずなのに。
それなのに、こんなにも苦しいだなんて――――




家に着くまで私は闇雲に走っていた。
途中、足がもつれて転びそうになっても、ただ夢中に走り続けた。
家に着く頃には大分(だいぶ)息が上がっていた。
と、家の前に人影がある。
逆光でよく見えないが、母さんでないことはわかった。

「やぁ」
「・・・朔弥・・さん・・っ」

急に止まったからか、どっと疲れが押し寄せてきてその場にへえたり込んでしまう。

「大丈夫かい?無理はいけないな」

どくどくと耳まで心臓になったみたいだ。
ふらつきながらも、差し出された手を握って立ち上がる。

「そんなに体力ある方じゃないんだから」
「・・・わかってます」

そういう朔弥だって体力があるようには見えない。
のほほん、ほんわか兄さんな印象が未だにある。
そういえば何でこんなところにいるんだろう。
美樹に何か言うなら家で待っていた方が確実なはず。
それに美樹の家は、大分前に過ぎている。
疑問に思いながらも、一応言っておくことにした。

「美樹なら一緒じゃないですよ?」

口にしたまではよかったけれども、できれば今、美樹の話題は避けたかった。
ただ早く家の中に逃げ込んでしまいたい。
そう思って朔弥の脇を通り抜けようとしたときだった。

「待って」

思いもよらないほどの力で腕を掴まれ、そのまま朔弥の胸へと抱き込まれるかたちで引き寄せられる。

「逃げないで」

他人にさわられるのをよしとしない私にとって、その行為に嫌悪感がないのが不思議だった。
髪を撫でるのも、親を抜かせば仁だけだ。
この不思議な感覚を朔弥はどう感じているのだろうか?
そう考えたときだった。
「同じだよ、君と僕は」

心を読んだかのように朔弥は答える。
私は、耳元で囁かれたその意味を理解することはできなかった。
だけど、その言葉がさっきの私の問いに対する答えなのかもしれない。
姿形が似ている訳じゃなく、それよりももっと別の何か。
そんな理不尽な答えに、逆に安心する。
今は何も考える必要なんかない、と言われている気がして――     




どのくらい話していただろう。
朔弥さんに対しては、美樹のことも話すことができた。
私は美樹のことを話し、朔弥さんも幼なじみのことを話してくれた。
朔弥さんはこんなことを話すのは二回目だなと苦笑しながら。
報われぬ者同士、傷を舐め合おうか。
そんなことを言っては、どちらともなく笑い合う。
 話の続きを催促しようと頭を軽く彼の胸へと押しつけようとしたとき――

「な・・にやって・・」

不意に聞き慣れた声が聞こえる。
朔弥さんを見つけて駆け寄ってきた仁が、しかしその腕の中にいる私を見て
呆然と立ち止まる。
あんなに仁が驚いた顔なんて初めてだった。
私の中で、ささやかなイタズラ心が芽生える。
仁を一瞥し、朔弥さんの首に腕を回す。
そのまま引き寄せて耳元で囁く。

内容は「もう、家の中に入るから」だったが。
仁には何と言ってるのかはわからない。
見ると、縋るように朔弥を見ていた。
その目線とは裏腹に、朔弥さんは自然な動作で私の腰を引き寄せた。
朔弥さんも途中から加勢してくれて、イタズラは大成功。
あの仁が、今まで見たこともないような顔をしてる。

「じゃあね」
その顔に満足した私は朔弥さんの腕を解いて家へ入った。




*****

何なんだ 今の――

梓を心配して、美樹から別れた後、急いで帰ってきたのに。
ふつふつと底知れぬ怒りがわき上がってくる。
それよりも朔弥さんだ。
内容によってはいくら朔弥さんといえど・・・

「話・・聞かせてもらいますよ」
「いいよ、君の部屋がいいな。行こうか」




朔弥はさっき起こったことを、隠すことなく仁に話した。
だがそれで仁が納得するはずもなく。

「あんたは・・俺のことしってたんじゃぁ・・」

ぐい、と朔弥の胸ぐらを掴み、締め上げる。
少し眉を顰めたものの、朔弥は笑みを崩さない。
それが仁の気を逆なでた。

「だから、いってるだろう?梓ちゃんは昔の頃の自分が重なって見えてたんだよ。
まぁ、最後のは僕の意志だったけど」

本当にこの人はわからない。
仁は朔弥から手を離し、高ぶる気持ちを静める。
ゆっくりと深呼吸して朔弥へ向き直った。

「梓は・・なんて」
「さっき言った通りだよ。あと、梓ちゃんに簡単な暗示をかけておいたから」
「暗示?」

仁は訝しむように朔弥をみる。
確かに専攻している分野が分野だから分からなくもないが、それにしたって唐突に言われて、はい、そうですか。なんていえるわけがない。
「一種の精神安定剤のようなものだよ。彼女はよく似ているからね。同じようなことになるかもしれないから」

誰に似ている、とは言わなかった。
それでも、何となく誰を指すかわかって、そのことには仁も触れなかった。

「僕が見るに、彼女は自分が思っている以上に独占欲が強い。それにあの様子だと美樹以外に恋愛感情を持ったことがないようだったしね。
僕が触れても暴れたりしなかったのは・・・まぁ、小さい頃から一緒に遊んでたせいもあるんだろうけど」
「梓は、学校でも人に触られるのが嫌やって、話す相手は俺と美樹しかいないのはそれなんか?」
「おそらく、必要以上に他人との接触を避けているんだろう。・・・・そうか。仁君、これから話すのは僕の意見であって、そうだと断定出来るものじゃないが」
「なんですか」

朔弥は少し考えたあと、口をひらいた。

「はじめて人を好きになって、その人のそばにずっといられる。それが友達だったとしてでも嬉しいものだ。少なくともはじめは。
それに、誰かと付き合ったことがあるわけでもないし、気持ちを持て余して、その結果、知らないうちに独占欲で潰されちゃってたかもしれないね」

顔色を曇らせる仁に構わず話をつづける。

「今まで均衡を保っていたのに“好きな人”の出現でそれが崩れかけているんだ。
だから僕はそれを保つ暗示をかけた。」

朔弥は深くため息をつく・
「梓ちゃんは泣きたくなるほど僕にそっくりなんだ。思考、行動が似ている。だから護ってやりたいとおもう。僕の二の舞はさせたくない」



確かに梓は精神的なものに昔から弱い。
今回の件も仁は梓が受け止めきれないだろうと思っていた。
だが、それを言えるはずもなく。
だから、協力するしかなかった。




握りしめる指が白んでくる。
何がいけなかった?
いままでも考えられる最善を尽くしてきた。
今回だって梓が望むんならと・・・

「仁君」

考え込む仁の注意を引き寄せる。

「暗示は一時的なもの。おそらく、梓ちゃんがどうなるかは君次第だ」



――あぁ、もう最悪だ







それからの一週間、仁の周りは少しずつ変化していった。
登校時、梓は俺と美樹を見ないようにわざわざ時間をずらしているし、こっちの教室に遊びにくることも減った。
付き合っているから当然なんだろうが、美樹も梓より俺と話すことが多い。
三人一緒が極端に減ったが、個々とならまだ話している。
それでも梓は出来うる限り用事をかこつけては、それを拒んでいた。
もともと友達づきあいなんて皆無に等しい梓は、多分一人で本でも読んでいるんだろう。



 
さて、と思考する。
なにをするべきか。
美樹は仁を、仁は梓を、梓は美樹を。
見事なまでの三角。
梓、それに美樹は、梓が一人枠の外にいるように思ってるんだろうが、仁の中では変わらずの三角形。
俺はどうしたい?
と、仁は自問するが、朔弥の話で開き直った仁にとって、それは愚問にすぎなかった。
答えは決まっている。
出来うる限り梓を最優先にする。
だが、梓にとっての美樹の存在は、仁が思っていたよりはるかに大きかった。
美樹を傷つければ、梓もまた然り。
それならば。
仁はぐるりと教室を見回した。
美樹の興味を反らせばいい。






そう決めてからの仁の行動は早かった。
この学校の元新聞部だった崎戸とマメに連絡を取り情報を聞き出す。
そのかわりに、新しいネタがあるとそれを提供していた。
教室で美樹と何か話すときはなるべく梓を連れていた。
以前と何ら変わりないその風景。
しかし、その中にも仁は策を潜める。
それはほんの僅かで、だが気づいてしまえばとてつもなく大きな違い。







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